貫入の音


工房にはいつもいろんな音が満ちています。

乾燥室の重い鉄扉を開け閉めする音。窯のふたを開ける滑車の音。そして釉薬を摺るミルの音。

中でも私が好きなのは、窯出しのときのささやくような小さな音。

それが「貫入の音」なのです。

本焼きを終え、窯から次々と出てくる作品はまだほのかに暖かくて、ピチピチとはじけるような小さな音がそこここで聞こえます。

800度の高温で焼き上げられた釉薬が外気に触れて冷やされ、その表面の細かい無数のひびが入る。

これを「貫入」といいます。

作品のささやき声とはこの「貫入」が入るときの小さな音。

いわば作品が作品としての生命を得た産声のような音とも言えるでしょう。

この小さなひびは瑕疵ではなく、手で触れてもほとんど感知することもないのですが、作品によっては器として使い始めたときにその細かいひびに水分や日常の汚れが入り込んでしまうことがあります。

それは、ある意味では使い込まれた陶器の味わいの一部でもあるのですが、特に白地の作品などではどうしても汚れのように感じられることも多いようです。

そこで、お客様の手に渡る前にあらかじめ、貫入のひびに薄い墨汁を摺りこんでおく作業をします。

これを「貫入を入れる」といいます。

貫入を入れる作業は作品が窯から出て、あまり時間を置かないうちに仕上げてしまわなくてはなりません。

作品を置き換えたりするときに触れる手の脂や外気に含まれる色々な不純物が咲きにひびに染み込んでしまい、むらなく貫入を入れることができなくなるからだそうです。

いつもひいばあちゃんがさっさと片付けてしまう貫入入れの作業を、先日、代わりにやってみました。

ほんのり暖かい作品の純白に、うっすらと薄墨の線が広がっていく。

生まれたての赤ちゃんが母親の乳を吸って、神様の世界から人間の世界にしっかり足を踏み入れていくようなすがすがしい誕生の瞬間です。

貫入を入れる作業は、いわば実用に耐えるための機能上の手続きでもありますが、味わい深い陶の風合いを生み出すための技法のひとつでもあることがよくわかります。

ところで、貫入入れの作業をすると、当然のことながら作業をした手指は墨汁を吸ってうす黒く汚れます。

年季を重ねたひいばあちゃんの手指には、深い深いしわの数々。

作品に貫入を入れる作業は同時に人間の「貫入」にも墨を入れる作業なのかもしれません。

石鹸でごしごしと洗っても、しわの奥に深くしみこんだ汚れはなかなか取れません。職人として何年の年月を重ねた勲章がその深いしわには刻まれているのでしょう。

最近、この手指のしわに入り込んだ墨の汚れをすっきりと落とす裏技を知りました。

ペーパーフィルターに残ったコーヒーの淹れかすで、ごしごし擦ってさっと水洗いするのです。

ささっと洗ってあっけなく落ちてしまう年輪は、まだまだ青い見習い職人の軽さの証なのでしょうか。